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有明海環境悪化機構究明と環境回復のための提言2


有明海環境悪化機構究明と環境回復のための提言2

日本海洋学会海洋環境問題委員会

「海の研究」11: 631-636 (2002)

要旨

有明海の環境悪化機構の解明とその問題解決のために,現時点で早急に実施が求められる調査課題をここに提案する。

1. 潮位・潮流の変化
 諫早湾堤防締め切りを始めとする沿岸開発によって有明海内部の潮位・潮流がどれほどの影響を受けたのか依然として明らかにされていない。この問題は有明海の生態系を考えるとき極めて重要な問題であり,早急に結論が得られるようにすべきである。

2. 水質浄化機能の喪失と負荷の増大 諫早湾潮受け堤防締め切りによる浄化機能の喪失の影響と調整池の汚濁負荷源としての役割を明確にすることが肝要である。特に,第三者委員会が提案している中・長期開門調査はこれらの問題解決ばかりでなく,潮汐・潮流問題の解明のためにも必須である。

3. ノリ不作と赤潮の発生 ノリ不作と関連した赤潮の発生に関して様々な要因が提起されている。個々の要因を精査するとともに,有明海への栄養塩負荷量の増大や組成比の変化及び潮流変化など諫早湾干拓事業を含めた総合的な解析が必要である。

4. 貧酸素水塊の発生 汚濁負荷量の増加や潮流の減少などにより大規模な貧酸素水塊の頻発化が危惧される。汚濁負荷の影響の強い諫早湾における貧酸素水塊の形成機構とこの貧酸素水塊が有明海全体に及ぼす影響解明が必要である。

5. 底質の変化 諫早湾の堤防近傍を中心に底質の細粒子化・浮泥の堆積が報告され,有機汚濁の進行が認められる。底質の変化は貧酸素水塊の形成,潮汐・潮流問題,二枚貝の漁獲量の減少などにも深く関連した問題であり広範囲にわたる調査が重要である。

6. 有明海の物質循環過程 有明海の生態学的特徴を明らかにして,環境悪化を克服する方策を得るために,陸,干潟,海域全体の変化を総合的・長期的に解析した有明海の物質循環過程の解明が急務である。

1. はじめに

日本海洋学会海洋環境問題委員会は2001年3月に「有明海環境悪化機構究明と環境回復のための提言」(海の研究、10、241−246、2001)を発表し、併せて「有明海問題検討専門委員会」を設け自らもこの問題に積極的に取り組むことを明らかにした。その後、農林水産省に設置されたノリ不作等検討委員会(以後、第三者委員会)はすでに8回の委員会を開催し、既存資料の整理、現場調査の報告、今後の取り組み方針などを検討してきた。また、この委員会と並行して、国による二つの調査(水産庁を中心とした調査と国土交通省、環境省などの合同調査)、九州の大学を中心とした調査、有明海問題検討専門委員会委員や民間団体による独自調査などが行われてきた。これらの調査結果を提言が示した課題に沿って総括し、有明海の環境悪化機構の解明とその問題解決のために、現時点で早急に実施が求められる調査課題をここに提案する。

2. 調査項目の詳細

1. 潮位・潮流の変化

先の提言では、諫早湾締め切りなど湾内面積の減少が有明海の潮位・潮流の変化を引き起こす問題を指摘した。当委員会に設置された有明海問題検討専門委員である宇野木は最近の著書(空と海、78巻、19-30、2002)で、「干拓事業の影響で事業前に比べて、湾奥のM2分潮の振幅が3.2cm、比率で2.1%減少し、堤防締切後において潮汐減少の約65%は内部の効果、約35%は外部の効果と考えられ、潮位差の減少の主体は干拓事業にあるといえます」と述べている。第三者委員会では第7回の開門調査に関する見解(以下:開門調査見解と省略)の付3で、「諫早湾の締切は、有明海湾奥の潮位差の減少に対して主要な寄与をしていると判断される」「潮位差の減少という有明海全体の問題に締切が大きく影響していることは否めない」と述べており、潮位差の減少の主要因が諫早湾締切にあるという考えを示した。一方、塚本・柳(空と海、78巻31-38、2002)は「諫早湾干拓事業の効果は10-20%にすぎない」と述べている。西海区水産研究所などが2001年2月に行った調査では、有明海の流れは1970年代に比べて減少率として約12%弱まっていると見積もっており、この結果も潮位差の減少と関係しているものと思われる。しかし海上保安庁の観測結果では、全体的には堤防締切以前とほぼ同等であるとの報告もなされている。従って、有明海の潮汐減少の要因について見解はまだ確定していない。潮汐・潮流問題は有明海生態系を考える上で極めて重要であり、早急に結論が出るような調査・解析が必要である。

2. 水質浄化機能の喪失と負荷の増大

第三者委員会では諫早湾締切によって浄化機能が失われる上に調整池内部での生産が加わって、調整池から諫早湾へ負荷が増大する可能性を指摘しているが具体的な負荷の増加について検討していない。漁業者は調整池から排出される汚濁物質が近年起きている赤潮の発生、それに伴うノリ不作や貧酸素水塊形成、タイラギ不漁の原因であると主張している。干潟の浄化機能が失われて、調整池に蓄積した汚濁物質が水門から排出されると、諫早湾はその分増加した汚濁物質の供給を受けることになる。第三者委員会に提出された資料によれば、調整池造成前の諫早湾への汚濁負荷量はCOD(化学的酸素要求量):1,500トン/年、TN(全窒素):200トン/年、TP(全リン):25トン/年であったが、調整池造成後は2〜3倍となっている。さらに、実際にはこれよりはるかに多いという予測結果が自然保護協会から出されている。詳しくは同協会のホームページを見ていただくことにして、その一例を紹介する。諫早湾内の表層水中のCODと塩分の関係を見ると、CODは塩分3%で約5ppm、塩分1%で約11 ppm、塩分とCODの間には直線関係があり、塩分ゼロで約15 ppmとなる。同時に調査した調整池内の表層水では7〜9 ppmと予測に反して諫早湾内よりもむしろ低い値を示している。このことは、調整池からの排水される表層水中の汚染物質ばかりでなく、同時に排出される底泥や浮泥に由来する汚染物質(調整池表層水中のCODとして測定されない)が諫早湾の水質を著しく悪化させていることを示している。調整池からの負荷量に関しては様々な結果が出されているが、第7回第三者委員会によれば2,460〜3,884トン/年と見積もられている。一方、自然保護協会の示した15 ppmを用いて同様に計算するとCOD負荷量は6,334トン/年と第三者委員会が示した数値の1.6〜2.6倍になる。有明海に流入する河川についても同様の検討を行なうと、有明海全体でのCOD負荷量は49,000トン/年となるので、自然保護協会の求めた負荷量は有明海全体の13%に相当することになる。即ち、流量では有明海全体のわずか3%にすぎない調整池が汚染物質の負荷源としては極めて重要であることがわかる。このことは、調整池の造成によって干潟の浄化力が失われただけでなく、調整池そのものが新たな負荷源となっていることを示しているが、これは開門時に調整池内に蓄積された底泥も同時に排出されるためと考えられる。農村振興局の結果では排水時のSSは約300 ppm、底泥のCODは約20 mg/gあり、調整池から排出される底泥由来のCODは約6 ppmと見積もられる。従って調整池表層水のCOD(約8 ppm)との総和で14 ppmとなり、自然保護協会の値とほぼ一致する。

調整池からの負荷は締切以前と比べて増加したはずなのに、農村振興局のモニタリング結果では締切前と後で諫早湾中央部(ステーションB3)の水質に変化がなく、第三者委員の中から負荷は増加しても環境にはそれほど大きな影響を及ぼしていないのではないかとの意見が出された。その理由として、調整池からの負荷が諫早湾に流入しても有明海から諫早湾に流入する海水によって希釈される、すなわち有明海全体に入ってくる負荷量に比べて調整池の負荷量が小さすぎることが挙げられた。しかし、このような結論を下す前に次の点を明らかにしておく必要がある。まず、自然保護協会では表面水(ほぼ0 m水深)を、農村振興局では表面下0.5 mの水を採取しているというサンプリング水深の微妙な違いによる問題である。農村振興局の調査結果にあるB3での塩化物濃度分布を見ると、ほとんどの場合に表層(0.5 m)と中層(1/2水深)の塩化物濃度に顕著な差がなく(15,000〜18,000 mg/L、塩分:2.7〜3.3%)、0.5 m層の海水が中層を含めた海水を代表していることを示唆している。先の自然保護協会のCODと塩分の関係から見ると、この塩分濃度範囲におけるCOD値は約5 ppmであり、締切前の水質と変化がないという結果が導き出される。しかし、B3地点では、0.5 m層の塩化物濃度が5,000〜10,000 mg/L(塩分:0.9〜1.8%)と中層に較べて著しく低い場合も稀に観測されている。これはおそらく調整池からの排水がほとんどの場合、海水の極めて表面の部分を薄く流出するため、0.5 m深のサンプリングではそれを十分に捉えることが出来ていないためと思われる。即ち、モニタリングにおいてサンプリング水深を十分に検討する必要がある。もう一点は、排出した汚濁物質、とくに底泥や浮泥など懸濁粒子がB3地点に到達する前に沈降・堆積することによって諫早湾の海水中から消失する問題である。実際に諫早湾だけでなく有明海全体で透明度が増加しているので(この原因は潮流の減少によるものと推定されている)、浮泥の沈降を推定するのは合理的である。

モニタリング結果を見ると締め切られた堤防外の諫早湾内では湾央のB3などでTNが増加しているが、TPの増加は比較的少ないようである。貧酸素水塊が形成されると粒子中のリンの溶出が著しく加速されることが知られており、溶け出したリンが希釈・除去された結果、TPの増加がTNに較べて小さくなったと推定できる。従って、調整池からの負荷の影響を詳細に把握するためには、諫早湾の水質についてTNやTPだけでなく、栄養塩を形態別(硝酸塩、亜硝酸塩、アンモニウム塩、懸濁態窒素、リン酸塩、懸濁態リンなど)に分析し、それぞれの動態を明らかにする必要がある。佐藤ら(科学(岩波)、71巻、No.7、882-894、2001)は諫早湾で低塩分水とともに栄養塩類が広がっている分布を示した。栄養塩の挙動の実態把握は後述する貧酸素水塊形成や赤潮の原因としても重要であり、佐藤らのような形態別の分布調査を行なうことによって諫早湾からの栄養塩負荷の問題もより明瞭になると考えられる。いずれにしても、詳細なモニタリングによって調整池からの排水される水質を把握し、負荷を正確に見積もることが決定的に重要である。
短期開門調査が始まって一週間の時点で、調整池内の懸濁物質濃度が急減していると新聞報道された。これは、農村振興局も述べているように、塩分が加わったことによって懸濁物質が凝集して沈降しやくすなった結果と考えられる。また、堤防締め切り以前の負荷過程を検討するために必要な詳細なデータ・資料が存在しない以上、有明海の環境問題に対する調整池造成の影響を正しく評価するためには、第三者委員会見解が述べている早急な中・長期開門調査が不可欠である。さらに上述したように、堤防締め切りが有明海の潮位・潮流の変化を引き起こしている可能性を考えれば、この点からも中・長期開門調査の実施が強く望まれるところである。

3. ノリ不作と赤潮の発生

第三者委員会は、昨年11月の記録的な大雨とその後の晴天が珪藻(リゾソレニア)赤潮を引き起こしたという結論に達した。何故、リゾソレニアなのかという点に関しては不明であるが、この問題に関しては瀬戸内海区水産研究所を中心に研究が進められている。川口ら(海の研究、11巻、543-548、2002)は諫早湾の堤防締切後の4か年におけるDINの減少傾向がそれ以前の2か年を含む6か年での減少傾向より大きいこと、また6か年の解析では透明度に有意な増加傾向が見られることなどを挙げ、諫早湾潮受け堤防の建設に伴った地形的変化により有明海の生態系に変化が起こったことを述べている。新聞情報によれば、石坂らは一昨年の大規模な珪藻赤潮(リゾソレニア)生じた時期の人工衛星画像によって、2000年12月2日に諫早湾で高濃度のクロロフィルが存在することを見いだし、赤潮が諫早湾から有明海へと広がった可能性を示した。赤潮は有明海全体の問題でもあるが、冬季の赤潮が諫早湾から発生した可能性を考慮するならば、有明海の赤潮発生における調整池の役割を検討する必要がある。ひとつは、先に述べたように調整池からの栄養塩類の負荷量とその動態を明らかにすることが必要である。さらに、調整池から間欠的に排水される淡水もしくは短期調査で排出される低塩分水が諫早湾の成層構造にどれほど寄与しているのかについても検討が必要である。堤ら(2002年度日本海洋学会春季大会要旨)は諫早湾が締め切られたため潮流が変化して有明海奥部の海水が湾口から流出しにくくなり、そのことによって生じた海水の停滞が赤潮発生の要因であると述べており、やはり赤潮と干拓事業の関連を重視している。

ノリ不作を引き起こしたのが珪藻のリゾソレニアであったため珪酸塩と珪藻赤潮の関連が注目されるが、一般に有明海では珪酸塩が豊富で珪藻が主体となっている。特に2000年11月の高温多雨により大量の珪酸塩が河川を通して陸上から供給されたことによって珪藻が異常増殖し、ノリにいくべき栄養塩(窒素・リン)を使ってしまったことがノリ不作の要因であるとする見解が出されている(角皆、海の研究、投稿中)。有明海における珪酸塩の調査事例は少ないが、西海区水産研究所の2001年度調査結果によれば、例えば7月諫早湾奥部表層の珪酸塩濃度は約120 μg atom/L、DIN濃度は約15 μg atom/Lであり、N/Siは8で一般的な珪藻のN/Si=1よりはるかに大きな値となっている。一方、冬季(12月〜2月)には、この比はおよそ3であり、低温少雨の冬季には河川からの珪酸塩の流出量が減少していることを裏付けている。もし2000年のように暖冬時に多量の降雨があれば、通常より陸上からの珪酸塩の供給量が増加することは容易に予想される。しかし、ノリが豊作であった2001年度の調査結果でも、11月末に赤潮が発生した時には、珪酸塩がわずかながら残っている状態でDINは枯渇していた(リン酸塩の減少が一番少なかった)。豊富な珪酸塩はノリ不作の要因である珪藻赤潮発生の必要条件を充たしているが、何故最近になってノリに著しい影響を及ぼすようになったのか、珪酸説の検証も含めて環境要因の解明が必要である。

第三者委員会が指摘した透明度の増加が海水中の光条件を変化させ、植物プランクトンがノリに対して有利になった可能性は大きい。第三者委員会では今年のノリ豊作の要因として、12月の降雨による赤潮の終息とその後の日照の不安定によって赤潮が引き続いて発生しなかったことを挙げている。第8回第三者委員会に報告された2001年と2002年の2月の水温分布を見ると、2001年では湾奥の大部分で下層より上層で水温が高かったのに対して、2002年は逆に上層が下層より低かった。従って、少なくとも2月においては2001年では冷却対流が不十分で成層化していたため、リゾソレニアが増加しやすかったと考えられる。一般に成層化して水柱が安定すると鞭毛層が有利で、成層化せず不安定な場合には珪藻が有利とされている。リゾソレニアは珪藻の一種であり、この一般則に反するが、野村・吉田(La mer, 35, 107-121, 1991)は上部混合層で栄養塩が珪藻の増殖を律速しない東京湾では、冬季に成層化するとむしろ珪藻赤潮が発生すると報告している。有明海における冬季の成層化と赤潮の関係は今後の検討課題である。ノリの成長にとって重要な12月〜1月に、近年の温暖化の影響が成層化などを通してプランクトン生態系に影響を及ぼすことも考えられる。そのような観点からの解明も必要である。

4. 貧酸素水塊の発生

西海区水産研究所がまとめた過去の貧酸素水塊の発生に状況によると、佐賀沖では貧酸素になることが過去にもしばしばあったが、昨年はこれまでにない大規模な貧酸素化であったと報告している。第三者委員会報告では、諫早湾湾口の底層に溶存酸素連続観測装置を設置して調査を行った結果、2001年6月下旬から7月中旬にかけて急速に溶存酸素濃度が減少している事実を見いだした。また同年8月に、自然保護協会は堤防前から諫早湾、有明海にかけての調査を行い、貧酸素水が締切堤防付近から底層に沿って沖側へ伸びていることを報告した。諫早湾では宇野木(前掲)が示しているように、堤防の前で80〜90%、湾口でも10〜30%を越える割合で潮流が減少している。このことは湾口側からの水平的な移流と拡散、および鉛直的な拡散を弱めることによって諫早湾底層への酸素供給量を減少させることになる。また、調整池からの間欠的な淡水の排出も定常的な淡水の流入に比べて鉛直循環流を弱めて底層への酸素供給を減少させる可能性がある。さらに、浄化機能を失った調整池から排出される有機汚濁物質(+硫化物などの還元性物質)も底層の酸素消費速度を急激に増大させる。堤防の締め切りによって諫早湾は貧酸素になりやすい湾となっていることが予測されるが、上述の二つの調査はこれを実証したと言うことができる。第三者委員会の「開門調査見解」でも「締め切りで流動が低下し成層が起きやすくなり、負荷の増大が底質の酸素要求量の増大につながり、これらがあいまって水温の上昇時期に底層に貧酸素状態を現出させる可能性が考えられる」と述べている。今年度も西海区水産研究所や自然保護協会によって詳細な溶存酸素調査が行なわれている。この問題を定量的に明らかにするには、諫早湾の流れ、成層構造、溶存酸素、各態栄養塩、および水門排水負荷を詳しく調査し干拓事業の評価を行うことが必要である。

5. 底質の変化

第三者委員会「開門調査見解」では、「モニタリング結果によれば、いくつかの測点では明らかに砂分が減り、シルト・粘土分が増えたと見られる。これらは他地域からもたらされた浮泥とともに調整池から供給されたものである可能性が否定できない」と述べている。自然保護協会(2001.3:ホームページ)の3月9−11日の調査報告では、調整池内と堤防外側の底質を比較すると、むしろ外側で有機汚濁が進行していることが示された。同協会はその理由として、調整池内の泥は定常的に排出されているが、沖側への輸送の小さい湾内では蓄積される傾向にあり、さらに諫早湾内で増殖した植物プランクトンなどが沈降・堆積するためと考察した。先に宇野木が述べたように諫早湾内の流れは非常に弱くなっているので、調整池から湾内に排出された汚濁泥が蓄積しやすい傾向にある可能性は高い。

現在、第三者委員会において開門調査の是非やその具体的方法について議論されており、その中で、水門開放により調整池内の汚れた水と泥が流れ出し諫早湾内の漁場が汚濁することが懸念されているが、自然保護協会がこれについて次のように述べている点は今後の参考となる。

「本調査の結果から、潮受堤防外の海域の底泥堆積や有機汚濁の現状は調整池内のそれと同レベルであり、底泥の堆積や有機汚濁という意味では水門開放により堤防外の海域の底質が更に悪化することはないと考えられる。今後の懸念としては、水門開放によって潮受堤防内外に既に堆積している底泥が舞い上がり、現在までに底泥中に蓄積した硫化水素などの還元性物質やリンなどの栄養塩類が海水中に放出され、一時的に水質の悪化(赤潮や青潮の発生)を引き起こす可能性が考えられる。しかし、底泥の舞い上げは底泥中への酸素の供給量を増加させ有機物の分解を促進するため、長期的には諫早湾内の環境を改善すると考えられる。現在行われている水門開放の議論でも、調査という事にこだわらず、この様な長期的な諫早湾内の環境回復も視野に入れた議論を行うべきである。」

第三者委員会は諫早湾における透明度の増加が流れの弱まりによる浮泥の巻き上がりの減少によるものと推定した。この問題は諫早湾だけの問題ではない。佐賀県の調査によれば、1989年8月に中央粒径値7以上の泥海域は佐賀県湾奥部の西側海岸に限られていたのに、2000年9月には湾中央部まで広がっていたと報告している(第三者委員会提供)。これは潮流が弱まって上げ潮時に岸近くまで浮泥を押し上げることができなくなったことを示す重要なデータと考えられる。このような調査が有明海全域で行われることが必要である。

アサリ、タイラギなど二枚貝の漁獲量減少は底質に関わる極めて重大な問題の一つである。第三者委員会ではこの原因を底層の貧酸素化、底質の泥化、有害プランクトン、有害化学物質などと推定しているが未だ明確にされていない。東委員は第三者委員会でも有明海中央部でベントス(底生生物)が潮受け堤防設置後に減少していると報告している。ここでは、諫早湾干拓とは必ずしも関係しているとは考えられていないが、一例としてアサリ問題について考える。堤ら(日本ベントス学会誌、57巻、117-187、2002)は緑川河口干潟で、盛砂後アサリが急激に増加し3年後にまた減少してしまう結果を報告し、アサリが減少する時には殻長5 mmまで成長する間に稚貝が底質に由来する何らかの原因で死亡してしまうことを報告している。一方、石井ら(日本ベントス学会誌、57巻、151-157、2002)は、有明海におけるアサリの減少は何らかの原因で浮遊幼生が減少してしまうことにあると述べている。また、九州大学の本城教授のグループは「表層水ではTBT(トリブチルすず)濃度が1998年の38.7 ng/Lから、1.7〜2.7 ng/L(1999〜2001年)へと減少していた。底質では4−6 cmに最大濃度(約40 ng/g)が検出されて、過去に高濃度の汚染があったことが示唆された。底質直上水の濃度は16.0 ng/Lで表層水に比べかなり高濃度であった。懸濁物中のTBT濃度は158 ng/gで表層水の約1,000倍に濃縮されていた。このことによって、アサリの幼生および稚貝が懸濁物を濾過摂食して悪影響が出ることが予想される」と述べている。TBTはアサリ減少の原因候補の一つであるが、TBT以外の有害人工化学物質の可能性も含めて今後は様々な検討が必要である。

第三者委員からは諫早湾の堤防締切に加えて、ノリ養殖に用いられる酸処理剤も有明海環境悪化に関係しているのではないかとの発言がなされており(地球環境センターニュース、Vol.13、No.3、11-17、2002)、この問題の解明も必要である。また、水産庁は二枚貝生産回復のために覆砂とアサリの放流を重視して取り組んでいる。しかし、覆砂については熊本干潟において1〜3年間しか効果がなかったと報告されており、応急措置的には有効であったが根本的解決にはならなかったといえる。この問題の解決には、1) 覆砂による効果の度合いとそのメカニズムをより詳細に検討し、アサリの減少の原因解明に結びつけることが必要である、2) 瀬戸内海で問題となっているように採砂により新たな環境破壊となる可能性がある、3) 第三者委員会で論議されているように、アサリの放流は有害プランクトン(Heterocapsa)の移入原因になりかねない、といった点を踏まえた上で慎重な調査・対策に取り組むべきである。 

6. 有明海の物質循環

先の提言で提案した有明海全体の物質循環や有明海に特徴的な泥質のガタ干潟の物質循環と浄化機能の調査結果はまだ報告されていない。日本全国沿岸海洋誌(1985)の「有明海」によれば、ガタ(泥)干潟は砂質干潟に比べて有機物(COD値で約3倍)や全硫化物が多く、逆に動物現存量は砂質干潟の0.7%(砂質干潟:11.3 kg/m2、泥質干潟:0.08 kg/m2)に過ぎないと述べている。しかし、菊池(海の研究、8巻、47、1999)は1987年の調査に基づいて「現存量ではアサリ、シオフキなどの中型二枚貝が多産する菊地川河口干潟(砂質干潟)が最大であったが、それ以外の中小貝類、甲殻類、多毛類などの種数、個体数、現存量では諫早湾が上位を占めており、従来の定法では見逃しやすかった十脚甲殻類の現存量を正しく推定すると現存量推定値はさらに増大すると考えられる」と述べている。さらに、諫早湾の堤防締切後の調査では、「締切堤防内の3,550haの50%がハイガイ一種だけで現存量が1 kg/m2となる」と報告しており、全国沿岸海洋誌で示された泥干潟の生物量の記述はかなり過小評価の可能性がある。従って、有明海全体の物質循環過程の解明のためには、有明海の特徴とも言える広大なガタ干潟の生物量とそこでの物質循環の詳細な調査が重要であると考えられる。

第8回第三者委員会の行政対応特別研究報告では、有明海の淡水の平均滞留時間は経年的に目立った変化は認められなかったが、COD、TN、TPの平均滞留時間は1990年代に入って増加する傾向を示し、物質が滞留しやすくなっていることが示唆されたと述べている。この問題も含めて、東京湾、大阪湾、三河湾などで実施されたような内湾全体の物質循環研究の実施が望まれる。また、水や物質の滞留時間、栄養塩や汚染物質の負荷、海そのものの持つ浄化機能を正確に把握するためには、ノリ不作や汚染の起こっている有明海という海の面についてのみの調査・解析ばかりでなく、陸域、河川、海域全体(干潟・外洋を含めた)の長期的な変化を総合的に解析してゆくことが必要である。

3. おわりに

2000年のノリの凶作を端緒として急速に社会的関心の高まった有明海の環境悪化問題は、その後も諫早湾干拓事業との関連を含め数多くの調査・研究が進められている。第三者委員会では短期開門調査に加えて中・長期開門調査の必要性を強く述べている。しかし一方では、こういった重要な調査を置き去りにしたまま干拓事業が進められようとしている状況もある。海洋環境問題委員会としては、干拓事業による有明海の環境への影響の有無、あるいはその度合いを正確に評価するためには、第三者委員会が述べているように中・長期開門調査は不可欠であると考えている。また、有明海において顕在化しているいくつかの環境問題は、干拓事業ばかりでなく有明海全体の陸上・沿岸開発、有害人口化学物質の拡散などの様々な人間活動の影響を考慮した解析が不可欠である。ここで挙げてきた調査研究課題の進展によって、有明海環境問題の解決に寄与できれば幸甚である。